スタイリストのキャリアプランって?トップスタイリストの年表を紹介!

スタイリストになるにはどうしたらいいの?スタイリストになったら、その先のキャリアプランはどうなっていくの?
今回は、有限会社ヒート 取締役である、沼山の年表をご紹介!本人にこれまで歩んできた人生について、インタビューしました!

トップスタイリスト・沼山 航太の年表

Chapter01. プロ野球選手を目指した高校時代

僕、野球の腕には結構自信があったんですよ。
高校2年生の時、一つ上の違う高校の人がドラフトで指名されて、青森は大阪みたいに野球が盛んではないけど、そこからプロ野球選手になるってすごいなと思いました。
でも同時に、この人でもプロになれるんだったら、自分も頑張ればなれそうだとも思いました。
学生時代は野球しかしてなかったですし、今みたいに美容師になろうとも一切思ってなかったですしね。
進路は、プロ野球の選手になるのが第一の選択肢、もしくは野球で大学に行くかのどちらか。だから勉強も一切していません(笑)

Chapter02. 2つ上に化け物が2人いた

高校3年生の時、大学の特待生で練習に参加したんですよ。
そこには大学1年生と2年生しかいなかったんですけど、2つ上に化け物みたいな人が2人いたんです。
正直、決して野球で有名ではない大学にこんな化け物みたいな人がいたら無理だな〜って思ったんですよ。
自分の野球は高校生までだなって。そう思うくらい才能がズバ抜けていました。

高校生で自分よりすごいなと思うピッチャーっていなかったので、それが野球をやってきて初めて挫折した瞬間でしたね。
まあ後にその2人はドラフト1位でプロ野球に行くことになるので、結果的にはよかったのかもしれませんけどね。
周りは応援してくれてたんですが、自分の野球人生はここで終わりだと決心しました。

Chapter03. 最初は作る仕事をしたかった

野球以外で働くなら、最初は職人とか、建築士とか作る仕事がいいかなと思ってました。
ですが、先生に相談したらお前は勉強してないから無理だって言われて・・・
確かにプロ野球しか考えてなかったから、そりゃそうだなと。じゃあ勉強できなくてもできることないかなと考え、消去法で残ったのが美容師でした。
当時は姉も美容師で、実家も美容院なので、割と身近な存在ではありましたしね。
勉強してなかったけど成績が悪くなかったですし、野球を頑張っていたおかげで先生からの評価も良かったのか、美容学校には推薦で入りました。

Chapter04. 自分も経営者だったら引き止めますね

美容学校で学ぶ中で最初に入りたかったのは、作ることに特化している美容室で、そのための資格を取るというのが目的でした。
就職するためにいろいろと探してはいたけど、地元の美容学校なので就職のコネもなく、面接の受け方もわからない。
技術をちゃんと教えてくれる美容室に行きたくて先生に相談した時に、「今時の美容室にお前が入るならそこそこ売れるだろうけど、ペラペラな美容師にはなってほしくない。修行だと思って5年我慢しろ!」と言われて、僕もそっちの方がいいなと思いました。

最初に就職したのは、ホテルに入っているような老舗の大きい美容室でしたね。先生の言っていたことも守りつつ、結果的に最初のお店には6年いました。
本当は5年でスッパリやめようと思ったんですけど、やめようとしたら会長出てくるわ社長が出てくるわ全力で止めに入られて。
銀座のホテルで、会長と専務と3人でご飯食べたりとかもありましたね。そんなことされる人ってあんまりいないし、もう1年頑張ろうかなと。

高校野球を経験している分体力には自信があったし、自分の練習も後輩の練習も付き合っていました。
先輩にも可愛がられていましたし、若手で数字も取れるし、コンテストの結果も良い、確かに自分も経営者だったら引き止めるなって思います。
大きい会社っていうのもあって、最後は海外に行くと言って辞めました。

Chapter05. 衝撃的だった日本とアメリカの違い

海外と言ってもいろんな選択肢がありますが、先輩がいたっていうのもあってNYへ行きました。
NYは1ヶ月くらいいて、サロンに入って研修みたいな感じです。
カットとかはやってないけど、シャンプーしたりとかできる範囲の手伝いをしていました。

お店は日本人がやっているところだけど、当然海外のお客さんばかりなので日本とは全く違う反応でしたね。
日本は「カワイイ文化」なので、褒め言葉も「カワイイ」。でもアメリカは褒め言葉も多岐に渡って、特に衝撃的だったのが「セクシー」というワード。こうするとセクシーじゃない?こうしたらセクシーじゃない?とか、そんなこと日本ではまず言わないので印象に残ってます。
NYだと、完全に美容師に任せるケースが多いんですよ。日本ではお互いにありがとうございましたってなるけど、アメリカではグッジョブ、あなたに任せて良かったという感じ。
美容師のことを、土台(自分の髪の毛)を使って表現してくれたアーティストだと思っている、おもしろいですよね。

Chapter06. 人間力が必要だと感じた26歳

NYでの研修を経て帰国したその日、成田空港に着いてすぐに知らない番号から電話がきたんです。それが次に働くサロンの店長さんだったんですけど、新しくお店を1店舗作るのにスタイリストを集めていて、僕に力を貸して欲しいと。
元々知り合いだったモデルの子がそこの美容室通っていて、僕のことを言ってたみたいですね。
当時の僕は、技術というより人間として成長したいと思っていたんです。

最初のサロンでは怒られることがなかったですし、正直自分より努力している人はいない、自分より後輩にリスペクトされている人もいなかった。
人に技術を教えてばかりで、人間として人として成長してる感じが全然しないなって。
NYで新しい価値観を知って、触れて、美容師としての技術以上に人間力を上げたい、必要だと26歳で気づきました。
同時にそれを誰が正してくれるのか、人として教えてくれるのかを模索して、考えていましたね。

Chapter07. 人に対して優しくなれた表参道時代

当時は、髪のことはプロに任せろいうのが先にあったんですが、表参道のサロンに行って初めて、人によってドライヤーの仕方とか、使う道具やスタイリング剤も全部違うんだなというのにやっと気づいたんです。
それまでは自分がこれやってください、使ってくださいがほとんど。綺麗に切ってさえいれば形は綺麗になってるので、自分の技術チェックもできていました。
しかし、表参道に行ったらそうはいかない。綺麗だけど満足度が足りない、やらされている感があったんです。
最初のサロンは老舗というのもあって富裕層が多くて、NYも同じ、大学生を担当する機会とかなかったんですよね。

そこでお客さんに要望があることを初めて知って、やっとお客さんと対等になった感じがしました。
自分ができないことは、勉強して努力して練習したりしてできるようにすることがあると思うんですけど、これまでは全てお客さんのためにやっていたんです。
お客さんのなりたい、自分が思う髪型を提供している立場、そのための技術だったのが、お客さんの要望を聞いて、それを提供する立場に変わった瞬間でしたね。
レストランでいうと、シェフのお任せではなく、ある程度メニューがあるなかでオーダーされたものを作っていく。
今までオートクチュールだったものが、既製品に変わったんです。

つまらなさもあるけど、クリエイティブなことをやめて、人として評価される、あの人にまた会いたいと思わせる人間性を身に付けたいなと。
だから女性に対してもすごく優しくなりました。人に対して優しくなれたのは、一番変わった部分かもしれません。ここでも6年くらい働きましたね。
店長をやってくれという話もあったけど、僕を誘ってくれた人が1年前に独立していて、いつのかにか自分に教えてくれる人がいなくなっていたんです。
この頃には独立願望も出始めていて、経営の勉強もしたかったので、退職することを決めました。

Chapter08. ヒート黒澤社長との出会い

ヒートに入ったのが2015年の8月。現代表の黒澤に会って、独立や経営の話を聞いてもらってたんですが、最初は「独立してもいきなりできるわけないんだから、ヒートの店舗をやってみたら」と言われて、これは面白そうだなと思いました。
最初はスタッフの宮森が任せられていた店舗に入り、1人が2人になったことで売上も2倍に。
極端に弱かったメニューがあったので、これを増やせばその分売上も上がるんじゃないかという話をしたり、何回もミーティングを重ねました。
お客さんが求めているかどうかはお客さんが決めるので、こっちが決めない。改革をして徐々にお店のコンセプトを作っていきました。

その結果、自分も宮森も売上が上がり、商品も売れるようになったんです。そこらへんが評価されて、マネージャーを任されるようになったんだと思います。
お客さんと対等になってヒアリングすると、あれもやりたいこれもやりたいという欲求が出てくる。
表参道に来たら、今までの自分と違う自分に出会いたいという女性の欲求があることを知ったんです。
だから本当にやりたいことをヒアリングできているか。表参道での経験がすぐに活きて良かったと思ってます。

ヒートでマネージャーになってから、他の店舗も任されたというのもあっていろいろ改革に着手しました。
会社辞めたことない人に自分で変化させる、何かを変えることはなかなかできないと思うんですよ。
いろいろな歴史がある中で、新しいことをしようとすると、その歴史をぶっ壊すためのものをやらないといけない。
そこをなんとかしないと、何も変わらない。日々アップデートしていくということが、コツだと思っています。

Chapter09. 若いスタイリストのために売上を作っていく

エリアマネージャーとしての仕事は大変ですが、できるだけ施術の時間を減らさないために、営業時間じゃないところの時間を使いました。
まず人件費が高すぎたので、自分も含めて一番報酬が高い人の給料を上限設定して固定給にしたのも改革の一つです。
その中で仕事をする、予約の管理とかも仕事のキャパの中でやる、当然売上が下がれば給料にも響く、反対に他のスタイリストが売上を上げたら給料が上がる仕組みを作りました。

美容師は、年を取ると売上を上げるのが大変な世界なので、そういった部分は若くて体力のある人が適任かなと。
あと、売上に対しての給料だと休めないので、家庭がある人はご家族にも負担がかかるし、それだと未来に続く企業が作れない。
これを全部説明して幹部や社長にも納得してもらい、今の”若いスタイリストのために売上を作っていく”という社風に変わりました。

あとは、僕がマネージャーになるまでやってこなかった、お店間の移動も改革の一つです。
今の環境が自分に合ってるかわからないから、いろいろな経験をしていろいろな人に触れた方が若いうちはいいかなと。
そこで良い結果になる人もあれば、つまずく人もいると思うんですけど、ただ皆ヒートの一員として採用しているので、その人の夢があったらそのために働くことも大切だと考えています。
将来独立を考えているならいろんなお店のことを知ったほうがいいし、目先の売上でお客さんがーというんだったら、その人についてこさせるようなことをさせたい。
目先の給料が20→23万になって喜んでいるようじゃダメで、短期的なことじゃなく長期的な目線でみることが重要なんです。

社長の夢は「自由になること」で、この人を自由にするためにどうしようかなってちょっと乗っかってみた人生の第3章でしたが、僕が最初やりたかった”作ること”は一切ブレていないんです。
僕からしたら、人の人生も感情を作ることもクリエイティブで、みんなには楽しいなと思っていることを僕は作ろうとしている。
むしろ作ること以外はやりたくないですね。時間がもったいないので。

Chapter10. 世界は自分が思っている以上に商業的だった

美容師になって、一番なクリエイティブことってなんだ?と考えた時に、その一つが世界の4大コレクションに参加することでした。
一つのクリエイティブの終着点というか、ずっと目標にしてきたものでしたね。
ロンドン、パリ、ミラノでも行われていますが、特にNYが一番好きで、どうやったらいけるのかなとずっと思っていました。
NYコレクションにはこれまで3回参加しましたが、感じたことや学んだこともたくさんあって、デザイナーがヒエラルキーのトップにいて、思いやコンセプトと、世界が発信しているトレンド、商業的な事実が見えてきました。

例えば、世界のトップにいるルイ・ヴィトンは、売れたいから若手の新進気鋭のデザイナーを起用する、そのデザイナーのファンも取り込む。他のブランドもそういった流れがありますよね。
自分が思っている以上に商業的で、ファッションデザイナーが本当にやりたいことがこういうことなのか、わからなくなってきたんです。特にサブチーフとして参加した時に強く感じました。

デザインを作る時に自分の意見を取り入れたり、チームの打ち合わせに参加したりするので、ある程度こっちの要望って通ってないなって。
向こうの要望に対して、ヘアデザイナーとして技術的にできるの?っていう確認作業がほとんどで、提案が通る時もあるけど、チームの時間だったりいろいろなことを加味してこれやりたいけど時間や技術的に難しいとかもあります。
右も左も分からない、コレクションに参加して間もないブランドとかだと、こっちに丸投げしてくれる成人式みたいなこともありましたね。

その経験を経て思ったんです。デザインを作るのは日常的な部分で、人の気持ちをクリエイティブすることが一番楽しいと。
僕の中には怒りの感情がなくて、怒ったり悲しんだりするより、笑ったり嬉しいと思いながら生きた方がいい、それもクリエイティブだなと。
だからヘアデザインを作る上でも、この人が楽しいな、嬉しいなと思えることを考えながらやっています。
取締役になってから見る範囲は増えたけど、考え方やスタンスは変わっていなくて、社長への相談が報告になったぐらいです。
経営にも人がいればその人がやるべきだと思うんですけど、自分は経営もスタッフのメンタルケアも全てクリエイティブだと捉えてますし、自分のやりたいことにマッチしているので特に苦でもないですね。

Chapter11. ありすぎる夢!

思考の起こりの部分って全部一緒なんだよと思えたら、ちょっと心が楽になるじゃないですか。
2020年9月にアパレルブランドを立ち上げたんですけど、将来的におでん屋さんも経営したいと考えています。
おでんはご当地によって価値観が違って、外部の人に向けて静岡おでん、金沢おでんみたいに頭に地名をつけている。だから違うものとして捉えられているんです。
なので今日のおでんはここのご当地おでんですよ!全部一緒だよ、でも全部違うよ。人生の指南役じゃないけど、そういうことができるのがおでんというメニューの面白さだと思ってます。
今でいうマッチングではないけど、おでん屋さんを通じてお客さん同士で人間関係を構築できたら嬉しいなって。
美容師がスタッフとして働けるようなお店だったらいいなと思っています。それなら、技術面で美容師を挫折した人けど接客は好きだよという人にも、新しい価値観と仕事を作れるんじゃないかなと。美容師がやることに意味があると思っています。

正直な話、美容師って勉強しない人も多いので、セカンドキャリアが上手くいかない人も多いんですよ。
4年制大学を卒業した人に収入面で勝とうと思ったら、悪事を働くか休み削るかをしないと追いつけない。
そうすると心の豊かさが失われていって、どんどんチャンスを失ってしまう。

学生時代にそのことに気づいて勉強できる人もいるけど、大人になって気づく人、一生気づかない人、いろいろなパターンがあると思います。
それに気づくチャンスを与える、一生できる仕事で、サスティナブルに経済的な余裕を生み出す、そこをクリエイティブするのも夢の一つですね。
本当に、たくさん夢がありすぎて、ここでは伝えきれないぐらいです(笑)

Chapter12. ヒートに興味のあるスタイリストへ向けて!

自分の可能性を自分が疑ったら終わり。やりたいこと、やれることをヒートがサポートします。
例えば、独立したいというスタッフがいたら、業務の中で利益の損失があれば教えたりして、独立する先のことを考えて日々過ごしてもらう。

クリエイティブなスタイルが作りたければ、タダで使えるスタジオもあるので、そういったバックアップも可能です。
あとヒートは横のつながりもあるので、賞を取った人のセミナーを主催したりなど、いろいろなチャンスがあります。

社長がバックアップするという覚悟は、今までの経営者の中で誰よりも持っている自信もあります。
僕も入ってすぐいろいろなことをやらせてもらえたし、即戦力としてすぐ活躍できるようなイメージをしてもらえると嬉しいかな。
1人でやれることには限界があるから、1人より2人、2人より10人、10人より50人・・・そういう考えの仲間と一緒に、あなたの夢を実現しましょう。

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